学校に通いたくないなら、無理して通う必要なんてない
現在、「不登校」が社会問題になっているそうですが、不登校のなにがいけないの?と思っているのは私だけではないはず。そもそも、"学校は通うもの"という固定概念は時代に合わないのではないでしょうか。
不登校になってしまう要因はさまざまだとは思います。かく言う私は元・なんちゃって不登校児ですし。
前々から常々思っていた「学校に通わないからって罪悪感を覚える必要はない」という話をしていこうと思います。
学校ってなにをする場所か知っていますか?
学校には通わなきゃいけないものだ、と思っている方も多いでしょう。ですが、学校とは、本来、教育を施す施設や場所のことをさしているので、必ずしも地図上に存在する住所に通わなくちゃいけないとは限らないんです。
がっ‐こう〔ガクカウ〕【学校】 一定の教育目的に従い、教師が児童・生徒・学生に計画的・組織的に教育を施す所。また、その施設。特に、学校教育法では幼稚園・小学校・中学校・高等学校・中等教育学校・高等専門学校・特別支援学校・大学のこと。→学校教育法 (引用元:デジタル大辞泉|コトバンク)
通信教育や通信教材だって、学生に計画的・組織的に教育を施してくれます。ネット上にも住所のようなもの(ホームページアドレス)がありますし、立派な学校としての意味を果たしていますよね。
そうすると、通信教育や通信教材は「通う=ホームページアドレスを開く」ことになるので、「物理的に本人が学校に赴くこと=通学」とは言えないのではないでしょうか。
義務教育期間が終了していれば、登校自体が本人の意思による行動なので、通う通わないも本人の選択です。高校や専門、大学に通いたければ通えばいいし、通いたくなければ通わなくてもいいんです。
勉強するかしないかは本人次第。他者が他者の人生に首を突っ込んだって、最後まで面倒見切れないんだからやめておけよって話なんですよ。
それに通信教育や通信教材だって溢れているこの時代に、学校に通わないことだけを責めるのはお門違いと言えるでしょう。
義務教育だから「通わなくちゃ」は間違い?
まず、日本には義務教育がありますよね。
第4条 (義務教育) 国民は、その保護する子女に、九年の普通教育を受けさせる義務を負う。 (引用元:第4条(義務教育)|文部科学省)
第4条のとおり、小学校の3年間と中学校の6年間、合わせて9年間が義務教育期間です。
第五条 国民は、その保護する子に、別に法律で定めるところにより、普通教育を受けさせる義務を負う。 (引用元:(引用元:第4条(義務教育)|文部科学省)
日本で生活するにあたり、子を保護する者(保護者)は子に普通教育を受けさせる義務があります。
保護者には子に普通教育を受けさせる義務がありますが、子は普通教育を受けなくてはならないという決まりはありません。
つまり、保護者は子に普通教育を受けられるように環境を整える義務はあるけれど、子が嫌がるなら強制する権利はないのです。
少し前に不登校の小学生YouTuberが話題になりましたよね。彼には"学校に通う義務"はないため、不登校でも問題はないのです。
不登校の定義
全国の不登校児、14万人超え。
文部科学省によりますと、年々不登校は増え続けており、平成29年度の調査では不登校の小中学生は14万人を超えているそうです。前年比15.1%増。
この数字だけ見ると「うわ」と思ってしまうかもしれませんが、かなり低く見積もっての14万人です。
よくよく考えてみると不登校の定義がよくわかっていない方も多いと思うので、一度定義を確認してみましょう。
「不登校児童生徒」とは「何らかの 心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により、 登校しないあるいはしたくともできない状況にあるために年間 30日以上欠席した者のうち、病気や経済的な理由による者を 除いたもの」と定義しています。(引用元:不登校の現状に対する認識|文部科学省)
年間30日以上の欠席って、以外とハードル低いですよね。それに、病気や経済的な理由による者を除くというのも、なんだかよくわかりません。
不登校になる理由は学校内にだけ存在する場合はほとんどなく、さまざまな要因が組み合わさって「結果的に不登校になる」人が大半です。その場合、さまざまな要因で心身を病んでしまった結果学校に行かなくなった人は不登校になるのかならないのか、はっきりしないですよね。
それに、「授業は出席しないけど部活だけ行く」や「ある授業だけ出て途中で帰る」というのも問題だと思うのです。こういったどっちつかずな登校スタイルをしている人たちを「なんちゃって不登校」と仮定しましょう。
「なんちゃって不登校」について、教師や友人たち、親までもがそれほど深刻だと思っていなくて、ただのサボりだと思われる。ただのサボりにしか思われないから、投げ付けられる言葉は鋭くて痛いんです。
調子がよくなったから学校に行ったのに、余計傷が広がって帰ってきた、なんてこともあるんです。笑っているから、サボっているだけだから大丈夫なんて、そんなことないんですよ。
"うちの子かにぎって……"は親のエゴ
よく、「うちの子は不登校になんてならない」という親いますよね。「うちの子はいじめなんてしない、されない」とか、根拠のない「うちの子にかぎって」という言葉。
親が自身を安心させたくて言っているのか、それとも子供ときちんと向き合っていないから勝手な想像で判断しているのか定かではないですが、「うちの子にかぎって」という言葉はただのエゴでしかありません。
子供にとって親は、生活のすべてに決定権を持つ絶対的な存在です。そんな人から「うちの子は大丈夫」なんて言われてしまったら、本音がどうであれ「大丈夫です」としか言えなくなってしまいます。
もし子供が不登校になったら、親の立場なら動揺してしまうでしょう。動揺してもいいんです。でも、子供の人格や個性を否定しないで、まずは本人の意思を確認してあげてください。
思うようにいかず苦しんでいるのは親だけではなく、子供もです。
中には、理由や願望をうまく言葉にできない子もいるでしょう。むしろ、なぜ不登校になったのかを説明できる子の方が少ないくらいですから、明確な答えなんてないと思っていてください。
"選択的不登校"という選択肢
どのような場合であれ、子供の「学校に行きたくない」という意見は尊重されていいはずです。"みんなと同じように"を強要される時代は終わりました。
「勉強=学校に通ってやるもの」というのは前時代的な固定概念でしかなくて、通信制の学校とか、高卒認定試験とか、もっと広く普及していいのではないでしょうか。最近では私立大学の通信学部が増えているようですし、小学校・中学校にもできていいんじゃないかなぁと。
勉強が苦手でついていけないとか、友達や教師になじめないとか、本人の個性や特徴を著しく傷つけられるとか、ただなんとなくとか、朝起きるのがつらいとか、なぜか学校に行こうと思えないとか、理由は不登校児の数だけあることでしょう。
中には、「学校楽しいぞー」とか、「学校来いよ」とか言ってくる教師やクラスメイトもいるでしょうけど、その人たちもあんまりわかってないですよね。行きたくない、行けるような気分じゃないから行かないのであって、わざわざ介入してこないでいいんです。
特に、あなたのためを思って言ってるの系の人。迷惑でしかないので、せめて「来たくなったら来ればいいんじゃない?」的な言い方だとありがたいです。
関係ない大人たちが好き勝手に、あぁでもないこうでもないと言っていいものではないのです。学校なんてものは、行きたくなったら、行けるときに行けばいいんです。
学ぶ意欲がなければ、どんなに素敵な講師に熱心に教えてもらっても身に付きません。社会に出るタイミングも、なにかを学ぶタイミングも、個人の準備が整い次第でいいんじゃないでしょうか。
結論:無理して通う必要なし!
個人的には、学びたいと思ったときが学び時だと思っています。
小中学校は無理して通わなくても卒業できますし、高校も通いたくなければ通信制の学校という選択肢がある。途中で転校したっていいじゃないですか。
それに、学びたいと思ったときに自分でお金を貯めて、自分のお金で勉強する方が、時間を大切にできます。ぼーっと授業を聞くだけの人よりも知識をつけられます。
勉強する方法はいくらでもあるんです。勉強するためには学校に通わなきゃいけない、なんてことありません。
勉強したくなったら勉強しましょう。つらい思いをして学校に通って心身が壊れてしまうくらいなら、無理して通う必要ないです。
以上、元・なんちゃって不登校児のもちこでした。